コナミスポーツマスターインストラクター大石鉄也のサッカーコラム SOCCER COLUMN by Tetsuya Oishi

1998年ブラジル留学の経験

vol.98 | 2021/5


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新年度が始まり、早くも1カ月が経過しました。
もう、新しい環境には慣れてきましたか?慣れるまでには、もう少し時間がかかるかもしれませんが、焦らず自分のペースで何事にも積極的にチェレンジしていきましょう。
今月は、1998年ブラジル留学の経験についてお話します。


■元ブラジル代表選手の17歳の時

今回は、1998年にブラジル留学をした経験についてお話しをしたいと思います。
私は、高校卒業後(1998年)川崎フロンターレに入団しました。
そして、入団した年にブラジル留学でグレミオというチームに1年間所属しました。
同じ時期のグレミオには、元ブラジル代表の選手も所属していました。
その選手は、当時、身体が細く丸刈りで、あどけなさの残る17歳でした。しかし、技術レベルは既に並のプロ選手以上だったため、トップチームに混ざって練習していました。

一緒に練習をしてみると、その技術レベルの高さには驚きの連続でした。リフティングにドリブルと、本当にボールが身体や足に吸い付いているかのように自在にコントロールしていました。17歳でこれほどまでにうまい選手がいるのかと目を見張りました。

彼は性格も非常に明るく、とにかくサッカーボールをいつも触っていました。ウォーミングアップのブラジル体操でもリフティング、皆が休憩しているときもリフティング、練習後も最後まで残ってボールを蹴り続けていて、まるで漫画の「キャプテン翼」を見ているようでした。


■試合に出られない時期

しかし、そんなにうまい選手でも実際の試合には全く出場することができませんでした。技術レベルが図抜けているにも関わらず、です。理由は、当時、身体が小さく線が細かったため、競り合いで当たり負けてしまうことが多かったからです。
「17歳の体格だから仕方ない」と当時のチームスタッフは言っていましたが、彼は試合に出たくてたまらなかったに違いありませんでした。

その証拠に、彼は練習で身体の大きな選手に何度も何度もドリブルを仕掛けていきました。体格差によって競り合いで何度も何度も飛ばされても、自分の技術を最大限に使い、身体の大きな選手に立ち向かっていったのです。本当に悔しい思いをしていましたが、決して腐ることなく毎日たくさんボールに触り続け努力していました。
そして、数年後、その選手の名前が世界中に知られるようになりました。


■まとめ

私の伝えたいことは、体格差を気にしすぎないでほしいということです。特に、子どもの頃は体格の違いや足の速さがプレーに反映されやすいですが、大人になれば自然にある程度のパワーがついてくるので、結果としてそこまでの問題ではないということです。
それよりも子どものうちにボールコントロールをしっかりとマスターしておく必要があり、長い目で見て、今、取り組んでいる技術習得のための練習の持つ意味が理解できると思います。その選手も体格で負けていた分、技術で勝とうと必死にアイデアをひねり練習し続けたからこそ、大人になって素晴らしい活躍ができるようになったのです。

私は「リフティングが大切」と、普段から指導しています。リフティングはサッカーの全てに共通する練習です。世界トップクラスの元ブラジル代表の選手でさえ毎日リフティングはしています。技術が身につきやすいのは子どものうちです。1日15分でも良いからリフティングを続けていただきたいと思います。

プロフィール

大石 鉄也

1979年11月26日生まれ。静岡学園高等学校から川崎フロンターレ入団。(在籍8年)川崎フロンターレ在籍時代に1年間、ブラジルグレミオに留学。2004年に現役を引退。現在は、子どもたちへの指導を行いつつサッカースクールカリキュラム開発及び指導者の育成にあたる。