HOME STAFF INTRODUCTION COLUMN MESSAGE






1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6


「ジョナサン‥‥ドライバーは左クリックで開き、右クリックで閉まる‥‥」

そうだとも、エド! ドライバーは左クリックするんだ! 回すのではなく!!

ナチュラルにそのセリフを受け入れる自分がいる。
エドは今、ゲームの中のジョナサンでなく、自分自身に語りかけているのだ。
モニターの前で交差する現実と虚構。ああ、なんと美しい“現実感”の表出方法であることか!

言うまでもなく、ゲームはインタラクティブ(双方向性)のメディアという側面を持つ。ドラマの中に身をゆだねるプレイヤーが、ドラマ自体を動かすことができるわけだ。そこで重要になるのは“仮想現実感”。そのドラマの中にまさに自分自身が“いる”感覚だ。
ポリスノーツには、ゲームの中の“現実”をプレイヤーの“現実”と錯覚させる巧妙に仕組まれたいくつもの“罠”があった。主観視点と客観視点の切り替わり。シームレスに発生する射撃シーン。解説書の“例”の仕掛け。自分とジョナサンを同化させる事を意図したセリフの数々‥‥。
冒頭のエドの台詞はこうした非常にエレガントな“罠”の一つだとボクはその時感じた。そこにボクはガツン!と来てしまったのだ。

なんと“ゲーム”でドラマを作るとは面白いものか!こういうゲームをボクも作りたい!いつかボクがディレクターになった時には、きっと“体感”できるゲームを作ろう!そんなことをこの台詞から感じたのである。

あれから10年。あの時に感じた「体感」はまだ実現できていない気がする。きっと一生を費やすことになる大きな宿題だったのだと今は感じている。





Back | Next