佐藤プロのテニスコラム

恩師との出会い

2022.01.20

私の恩師である亜細亜大学の堀内監督との出会いは、私が初めて出場したインターハイ(仙台)での個人戦シングルス1回戦の試合後でした。同年代の吉岡青樹というシード選手と対戦し、結果は負けてしまったのですが1セットマッチで4-6という内容的には接戦となり、敗戦後の私に優しく声をかけて頂いたことが強く印象に残っています。そして、うちの大学に来ないか?と声をかけて頂き、「君は必ず強くなる」とも言って頂きました。

幸いにも私は他の大学のスカウトの方々にも声をかけて頂いていましたが、進学先を亜細亜大学に決めるまでに時間は掛からなかったです。その理由の一つに、私の兄が一足先に亜細亜大学に在籍しており、高校時代はインターハイにも出場出来なかった兄がインカレ選手になっていたという成長を目の当たりにしていたからです。また別の理由として、同期のトップ選手(全日本ジュニアシングルス優勝の伊東新、同じくダブルス優勝の駒田政史)が次々と亜細亜大学への進学を決めており、私もその選手達との中で練習して強くなりたいという気持ちも決め手になりました。

大学に進学してからは素晴らしい練習環境と指導者に恵まれ、1年生でインカレ選手になり、ダブルスでは兄とペアを組み関東学生大会で優勝、インカレでベスト4と躍進することが出来ました。この躍進のきっかけを作ってくれた大きな要因は、堀内監督の指導です。兄とペアを組んでいたダブルスの試合後にアドバイスを求めて監督の元へ行くと、兄のプレーはいつも褒められるのに、私のプレーに関してはほとんど褒められた記憶がありません。

そのたびに私は、「何で自分は褒めてもらえないんだ」といつも悔しい気持ちを抱えていたのを覚えています。そして自然と、「次の試合はもっと良いプレーをしよう!」という気持ちになっていきました。

今思えば各選手の性格や個性を理解した上での監督の指導でしたが、それぞれの性格や個性を理解する上で重要だったものがあります。毎試合後に提出することになっていた「試合結果報告書」です。これを面倒だからと後回しにしてしまうと、どんどん溜まってしまい試合結果を鮮明に自分自身で確認できなくなります。いい加減な内容の文章はすぐに指摘を受ける中で、最初は面倒な作業と感じていましたが、私にとっては何度でも試合を振り返ることができるとても重要なものでした。学生時代からプロテニスプレイヤーとして生きていく厳しさ、自分自身をしっかり知らなければ活躍できないんだということを教えて頂いたと感じています。

私の学生時代は堀内監督からオンコートのマンツーマンで直接指導を受けた記憶がありますが、今思えばそれはとても貴重な経験でした。その指導にこそ、私のボレーの基本を知るヒントも沢山あり、自分にとって素晴らしい指導者と巡り会えた学生時代は、大きな飛躍のきっかけとなりました。

今後私自身も過去の経験をしっかりと活かしつつ、一人のテニス指導者として沢山勉強をし続け、テニス・スポーツ界はもちろん、学生から社会に出て色々な場面で活躍できる選手を育成していきたいと考えております。