KONAMI J.B.STAR 奮闘記 第46回
卒業メンバーとKONAMI J.B.STAR 前編
今年の世界大会、2部門で準優勝に輝いたKONAMI J.B.STAR。大会期間中は振りの変更など優勝に向けて対策を練っていました。今回は自身も同大会に出場しつつ、KONAMI J.B.STARに現地でアドバイスを送った、元リーダーの依田琉音さんに話を聞きました。前編は現在の活動状況についてお伝えします。
―――現在の活動KONAMI J.B.STARを卒業してELITZ(エリッツ)っていうチームを組みました。KONAMI J.B.STARでなく、自分として世界大会に挑戦したいという気持ちをずっと持っていたので、昨年の12月ごろからKONAMI J.B.STARに所属していた早稲田遼(世界大会でメダルを獲得したときのメンバー)、それとヒデちゃんっていう人がいるんですけれど、その人もフィリピン代表で世界大会に出場して3回メダルを取っていて、全員メダリストだし、ここでひとつ勝ちたいっていうのがありました。
ミニクルーっていう部門に出場したのですが、日本人はまだ決勝にいったことがない部門だったので、そこでやりたいなっていうのでチームを組んで活動して、世界2位を取ることができました。
遼と自分はKONAMI J.B.STARで、もう一人は自分が外部でダンスをやっていた時に一緒に踊る機会があって、「同じ世界大会に出ていた人だよ」って紹介してもらいました。彼はフィリピン代表だったのですが、自分がフィリピン代表のパフォーマンスが好きということもあって、「お!」ってなって。
ちょうどメンバーを探していて、意気投合しました。年齢は10個離れているんですけれど、コロナがあってからダンスの大会に出ていなくて、もう一度HHI(WORLD HIP HOP DANCE CHAMPIONSHIP)に挑戦したいっていうのを聞いたので、「これは良いかもしれない」と思って話を持ちかけてすぐに動き出しました。
3人(の少人数チーム)だったら、この大会を知っていないと(勝ち進むのが)難しいんです。作る作業も練習もその熱量も、理解がある人じゃないと短期間では難しかったので、遼にもヒデちゃんを紹介してすぐ打ち解けて、日本大会に出て、そこから世界大会に出て・・・という感じです。
ELITZの活動以外には、ダンスでいうと小さい子どもを教えていたり、(HHIに)40歳以上の部門があるんですけれど、タクコーチからの縁で「教わりたい」っていっていただいて、そのチームの人たちに教えている感じですね。あとは体操教室で年少さんから中学生くらいまでを教えています。
オンラインを除いて今年で7回目の世界大会出場でした。
2017年にメガクルー部門で準決勝落ちをしてしまって決勝にいけなかったんですよ。で、その結果が出るときにみんなで願っていたんですけれど、いけなくて・・・すごく感触は良かったんです、歓声もあって。でも(チーム名を)呼ばれなくて、その時に周りの国の人たちが「JB!JB!」ってコールをしてくれて、そこでみんな涙がばーって出て・・・。悔しさと、バーシティもその時は残念ながら決勝にいけなかったので、「なんか終わってしまった」っていう気持ちがすごくありました。ジュニアの頃はあんまり「勝つぞ!」っていう気持ちが分からなかったんですが、この年くらいから気持ちが乗っていたのですごく悔しい思い出です。
あとは、2016年に初めて世界大会に出場した年に、バーシティの人たちが決勝の舞台で踊っていて、すごくカッコよくて、表彰台に2位で上っている姿を見て、「自分もここに立ちたいな」って思って7回挑戦してきたので・・2021年にメダルは取れたんですけれど、オンラインだったので自分が目標としていた表彰台には登れなくて・・・。それを卒業して叶えたいっていう大きな決意を持って(今年の大会は)挑戦したので、今年、すごく嬉しかったですね。
やっぱり普通では味わえない非日常ですね。海外で言葉も通じないし、文化も違うし、当たり前が当たり前じゃない人と一緒にダンスで触れ合ったりリスペクトし合ったり、刺激を受けたり逆に自信をもらったり、そういうすべてが詰まった大会です。勝負っていう厳しい世界を教えてくれるし、みんな絶対に成長できる大会なので・・・。毎回行くごとに刺激を受けて、帰ってきたら何かに挑戦してっていうブーストがかかります。
後編は世界大会の様子をお届けします。
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KONAMI J.B.STARについてコナミスポーツクラブのダンススクール「ダンシングスターズ」の中でも全体の約1%しか入ることのできない選抜チームです。過去2010年と2014年にはHIPHOPダンス大会で世界チャンピオンに輝くなど、日本でも屈指の演技力を持つダンスチームです。
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